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牡蠣とウニの“リアル二刀流”で国東半島から世界へ

株式会社大分うにファーム

栗林正秀KURIBAYASHI MASAHIDE

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OYSTERS
  • 弁天オイスター

たとえ素人であっても、
殻を開ける前から、
いや触った瞬間から
その「違い」がわかる牡蠣がある。

大分・国東半島の静かな漁村で
丁寧につくられた
「弁天オイスター」は、
まさにそれだ。

特徴は鎧のように重く、硬い殻。
明らかに「違う」。

弁天オイスター

生産者・栗林正秀が目指したのは
水揚げ後、何日経っても
鮮度を落とさず
旨いままの状態をキープする
堅牢な殻をもつタフな牡蠣。

歯ごたえのある外套膜と貝柱。
甘味と旨味の絶妙なバランス。
自分が育てた牡蠣の本来の味を
食べる人にそのまま届けたい。
栗林のそんな思いが、
沸き立つような執念が 殻を厚く、硬くさせたのだ。

弁天オイスター

牡蠣養殖と出会ったのは28歳のとき。
祖父も父も漁師をしていたが、
栗林はその年まで、
漁業とは無縁の人生を送っていた。

生まれ育った国見町は、
漁業で栄えた時代もあった。
しかし栗林が中学時代、
父は大きな船を手放し
別の仕事で家族を養うことを決めた。
その時から、栗林は
「漁師になることはないだろう」と、
思うようになっていた。

10代の頃は、
決して模範的な少年ではなかった。
高校1年で学校を中退、
父が突然の事故で他界すると、
家業を手伝うこともなく、
仲間とつるみ、街を徘徊し、 毎日を無為に過ごした。

栗林正秀 masahide kuribayashi

16歳で福岡に移り住み、
その後、大阪、東京へと向かった。
日雇いの仕事、アルバイトなどで
自由気ままに生きた。
そんなアナーキーな日々は、
そう長くは続かなかった。

19歳のある日、
ちょっとばかし「やんちゃ」が過ぎて、
大分へ強制送還されることとなった。

どうしようもない息子に
母は、一通の手紙をしたためた。
そこには、
「あなたを信じています」
――そう書かれてあった。

栗林正秀 masahide kuribayashi

これを機に、栗林の人生は
文字通り180度変わった。

自分の生き方を改めるため、
とにかく真面目に働いた。
現場作業、自動車のディラー、
火葬場のレンガ積み。
やれる仕事はなんだってやった。
           
23歳、仲間たちと会社を立ち上げた。
栗林含め、たった5人の小さな建設会社。
知恵はなかったが、体力とガッツだけはある。
電話帳の「あ行」から片っ端に営業電話をかけ、
どんなに安い仕事でも迷わず引き受けた。

2008年――創業から5年が経過。
栗林の会社は着実に業績を伸ばしていた。

しかし、その反面、
地域経済はどん底状態にあった。
リーマンショックの影響で、
国東半島に集積する大手資本の工場が
軒並み閉鎖、多くの住民が職を失い、
地域から離れていったのだ。

栗林正秀 masahide kuribayashi

大手資本の生産拠点を呼び込むことで、
地域経済を回していくという従来のやり方。
地域からは安い労働力を提供して、
自分たちとは無関係な市場経済の影響で、
職も生活も奪われるという現実。

眼の前で起きていることと、
地域が消滅していく未来が
栗林には一直線に繋がって見えた。

このままでは誰も幸せになれない。

他所にはない、
この地域だけの資源を活用して、
産業にまで成長させ
雇用を生むことができる「なにか」を
自分たちで見つけなければ…。

自分になにができる?
なにをやらなければいけない?

悩み抜いた栗林が、
行き着いた答えは、
地元の干潟を利用した、
海外市場でも高単価で売れる
「牡蠣」を育てることだった。

栗林正秀 masahide kuribayashi

当時、牡蠣養殖をする漁師もいない、
牡蠣不毛の地で、
漁業未経験の素人が養殖業に転職する。

それは傍から見れば、
「建設会社の若社長、突然のご乱心」
としか映らなかったであろう。

しかし、栗林は本気だった。
         
あの時、母が自分を信じてくれたように、
栗林は、地域の力、
海の可能性を信じていた。

彼は国内外の生産者のもとを訪れ、
生産方法を真摯に学び、
そして愚直に、自分の海と向き合った。
地域の人々の希望となる、
小さな灯火を、灯すために。

牡蠣筏

他地域の生産者とも連携を取りつつ、
自らの生産技術を磨き上げていき、
シーズンを追う毎に牡蠣の品質は向上。
栗林はここ国東で、
日本最高品質の牡蠣を、
世界のどんなオイスターバーに出しても、
誇れる究極の逸品を、
作り上げることに成功した。

さらに2020年には、
世界で初めて
磯焼けウニの陸上畜養に成功。
牡蠣同様、産地としては
“不毛の地”だった大分で
高品質のウニを
安定的に通年出荷できるようになった。
事業が軌道に乗れば、
新たな地域産業の創出だけでなく、
世界的な環境課題となっている磯焼けを
事業を回しながら、
解決することも可能となる。

今、栗林の意識は地域経済だけでなく、
グローバル市場や、
地球環境にまで及び始めている。

信じてくれた母に報いるため。
育ててくれた地域に希望を与えるため。
海の生態系や地球環境を守るため。

なにより、自分自身の「夢」のため。

栗林はこれからも戦い続ける。

栗林正秀 masahide kuribayashi

PROFILE

栗林正秀

くりばやし・まさひで

1981年5月2日、大分県国東市出身。
漁業者の家に生まれ、
幼少時代より国東半島の海に親しみ育つ。
高校中退後、派遣労働から日雇い労働、
アルバイト、自動車のディーラーなど
さまざまな仕事を経験し、23歳で独立。
建設土木会社を経営し、28歳で牡蠣養殖を開始。
世界基準の生食用の牡蠣をつくるため研究を重ねる。
2017年からはウニノミクス社と共同で、
国東市での磯焼けウニの畜養試験に取り組む。
2019年3月に株式会社大分うにファームを設立。
2021年に8月、陸上畜養ウニ「豊後の磯守」として
国内外の飲食店に出荷を開始する。