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テクノロジーとエコロジーのオイスター革命戦士

合同会社 新栄丸

宮本新一MIYAMOTO SHINICHI

LIST OF
OYSTERS

大分県佐伯湾に浮かぶ
面積5.56 km²に
約600人が生活をする
小さな離島、大入島。

ここで育てられる
「大入島オイスター」は、
ギリシャ彫刻を思わせる
美しい殻の形が特徴。
そしてその殻を開けると、
はちきれんばかりの豊満な身が、
これでもかと誘惑してくる。

ほどよい大きさ。
年中食べられる3倍体は
あっさりとした味わい。

濃厚な旨味が魅力の2倍体は
冬から晩春にかけて、
牡蠣愛好家の頬と
財布の紐を緩ませる。

そんな魅惑の牡蠣を
手掛ける男の名は宮本新一。

今、日本でもっとも先進的な
シングルシード養殖で、
環境負荷と労働負荷、
いずれも大幅に軽減させつつ
最高品質の牡蠣をつくる
大入島の革命的生産者である。

ただ、ここまで来るのに、
随分と遠回りもした。

むしろ、
漁師としての宮本の人生は、
「失敗」ばかりであった。

26歳で独立するも、
漁場に恵まれず、
赤潮や慢性的な不漁も重なり、
生活するのにやっとの稼ぎ。

プライドなど、
とうの昔に、海に投げ捨てた。

生きていくため、
家族を食わせていくために、
どんな漁でもこなした。

休息など、無論なかった。
不眠不休で海に出ることは
身命を賭すことに等しい。
船を操舵中に眠ってしまい、
目を覚ました瞬間、
防波堤に直撃しそうなことは
幾度となくあった。

そして漁師8年目。
佐伯湾を襲った大規模な赤潮が、
宮本や地域の漁師の生活を
奈落の底に落とした。

当時、潜水漁をしていた宮本は
海の中で死滅した魚介類を
ただただ眺めるしかできなかった。

しかし――。

そんな“死の海”で、
試験的に養殖されていた
岩牡蠣だけは、
死滅していなかった。

「もしかしたら、牡蠣なら…」

宮本は藁にもすがる思いで、
岩牡蠣の垂下式養殖を始める。

随分と年を取った。
目尻の皺は年々深くなり、
体力も落ち、
若い頃のように
無理も利かなくなった。

なにより狭い島だ。
必死で慣れない
牡蠣養殖をする宮本を
嘲笑する声も聞こえてきた。
もちろん悔しかった。

だが笑っている者の未来も
決して明るいものではなかった。
宮本の怒りは虚しさで包まれ、
穏やかな潮騒に掻き消されていった。

そんなある日、
偶然にも
異国の地で実装され、
牡蠣養殖の「あり方」を
一変させたという
最新鋭のテクノロジーを駆使した
養殖システムと出会う。

ニュージーランドの生産者が
従業員を重労働から解放するため
つくられたという、そのシステム。
高効率で労働負担を軽減し、
環境負荷も小さいため、
持続可能性も非常に高い。

このシステムを実装し、
シングルシード養殖を
産業にまでしてしまえば、
自分だけではなく、
高齢化と後継者不足に悩む、
地域の漁業を
立ち直らせられるかもしれない。

そう確信した宮本は、迷わず動いた。

複数の漁業者で、
最新鋭の機材を使用できるよう
協議会を立ち上げ、
若い漁業者や
新規就業者を募った。

すると
失敗ばかりする男の元に、
ひとり、またひとりと、
仲間が集まってきた。

家族のために。
島の漁師の生活のために。
そしてこの地域で暮らす
みんなの未来のために。

宮本の一途な思いが
奇跡を起こした。

劇的に減った労働時間に
反比例するかのように、
牡蠣の生存率は高まり、
質も驚くほどに向上。
品質、環境、労働。
すべてがグローバル基準の牡蠣が
この小さな島で誕生したのだ。

宮本にとって、
否、日本の牡蠣産業にとって、
それは「革命」であった。

死ぬまで、
この島で、漁師でありたい。
――それが、宮本の夢だ。

革命の先にある、ささやかな夢。

大入島オイスターを食べるとき、
宮本のそんな夢のことを
少しでも思い浮かべてもらいたい。

PROFILE

宮本新一

みやもと・しんいち

1978年6月11日、母の実家がある
大分県宇目(うめ)町で生まれる。
幼い頃は、山に囲まれた宇目町で育ち、
小1の夏から父の出身地である大入島で
暮らすことに。高校から島を離れ、
福岡や長崎・佐世保などで暮らした後、
21歳で帰島。鰤養殖などでキャリアを
積みつつ、26歳で独立して漁師となる。
30代前半から岩牡蠣養殖を始めるも、
失敗が続き一度は断念。40歳で出会った
シングルシード養殖で牡蠣生産者として
覚醒、現在に至る。